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他人のこと

世の中には他人に非常に興味を持つ人が多いなと最近思う。
ぼくは他人に興味をそこまで持たないので、そういうのを見るとすごくやりにくいなと思う。
誰がどうしてようとそんなのはよくて、とにかく仕事を片付けてうまくやればそれでいいんじゃないのだろうか。
少なくとも、興味を持つ他人という対象は、家族だったり本当に友達だったり恋人くらいでいいんじゃないのか。
「喜嶋先生の静かな生活」を読んだ。似たようなことが書いてあった。

「(略)でもね、社会の人って、みんな、そういうことを、もの凄く知りたがっているんだよ。君みたいに、構成方程式の一般形がどうのこうのって、そんなことに興味はないわけ。それよりもね、あの人とあの人はどうして仲が悪いの、どうしてあんなに仲がいいの、あの態度はどういうつもりなの、何を考えているの、なにか隠し事をしているんじゃないの、そんなことばっかり一所懸命考えて、一所懸命話し合っているんだよ。おかしいでしょう?絶対おかしいよね?」
「おかしくはないよ。興味の対象っていうのは、人それぞれ、自由だと思うし」
「そう、そうなの。それが正しい。でもね、違うの。世間の大部分の人はね、貴方みたいな数式ばかり考えている人は、頭がおかしいって思っているわけ。本当だよ。面と向かっていう人だっている。そういうのを考えるのは、人間としての心が欠けているって思っているわけ。心が書けているから、人の気持ちを察することができないって思っているわけ。だから、無差別殺人なんか起こったら、どうしてあんなことをしたんだって話し合って、結局は犯人は人間としての心がなかったって結論を出して安心するの。そういう人が大部分なんだから」
「知っているよ」
「変だよね。そうやって、試みたいな言葉を持ち出さないといけないっていうのが、もう変だよね。みんなが変なんだよ。数式を一所懸命考えている人って、みんなのことを認めているのに、人間の心がどうこうって言う人は数式を考えている人を認めないじゃない。他人を認めない人のほうが、人間として、なにか欠けているじゃない?」
「みんなではないよ。そういう人もいるかもしれないね」
「喜嶋先生の静かな生活」p.280-p.282

だからどうというわけではないけど、なんかすとんと分かった気がする。

「ダメではないよ。それが普通だと思う。好奇心っていうのは、誰にでもあるものだよ。ただ、好奇心を生かせるかどうかっていうことが大事だと僕は考えている。自分の好奇心を、人間とカ社会の役に立つことに使いたいだけだよ。せっかく生きているんだからね」
「喜嶋先生の静かな生活」p.282